選べる、ということは、本当にしあわせなのだろうか?
「選択の科学」を読み進めるうちに、わからなくなってきた。
選べる幸せ
「選択の科学」第一章では、選ぶ本能について
説明している。
なぜ、かなりなストレス下にあるはずの社長の平均寿命は長いのか?
なぜ、満ち足りた環境にいるはずの動物園の動物の寿命は短いのか?
選択の科学 |
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シーナ・アイエンガー 櫻井 祐子
文藝春秋 2010-11-12 |
それは、選択の自由があるかないかに大きく関わる。
選択する自由がある人、裁量権があるひとほど、
ストレスがすくないのだそうだ。
また、平社員の中でも、自分にある程度選ぶ自由があると認識している人の方が、ストレスが低い。
つまり、選ぶ事が出来るということは、ハッピーなことのはずだ。
選ぶ重荷
一方、我が子の延命措置を続けるか否か?続ければ助かるかもしれないが重い障害が残るかもしれない。
その選択を迫られた時、
我が子のことなのだから自分で決めたいと思うだろうか?
それとも、医師の判断に委ねたいだろうか?
そんな重すぎる選択でさえ、あるほうがより幸せなのだろうか?
選択の科学では、延命措置をやめざるをえなかったアメリカとフランスの親のその後の追跡調査の結果、
親が判断するアメリカに対し、医者が判断することが通例のフランスの方が、
親たちの後悔が少なかったと述べている。
フラを選ぶとどうなる?
私が、もっとフラのある生活を選択することはできる。
でも、しばらくすれば貯金は底をつき、
フラよりも稼ぐことを選択せざるをえなくなるだろう。
その一定期間だけのために、今の生活を捨てられるだろうか?
もっとフラのある生活を選んだがために
よりフラのない生活を送る可能性さえあるのではないか?
その時、選択肢があったことを、しあわせだったと思うだろうか?
つづく
アローハ♡
