自分という代わりのきかない唯一無二の存在
を”会社員という自分”だけでは認識することはとても難しいでしょう。
でもそこが認識できれば、かなり生きやすくなるはずです。
会社員である自分は他にいくらでも代わりがいます。
たった今この瞬間から自分が会社から消えても、
多少のドタバタはあったとしても、会社としてはどうってことはない。
一週間もすれば、もうすんなり物事は動き始めてるものです。
会社とはそいういうものだし、社長でさえも代わりがきくし
とすると、平社員の私はなおさらいつでも入れ替え可能なわけです。
寝ている時以外の人生のほとんどの時間と気力を会社というものに使い
毎日毎日自分を鼓舞しながら我慢して働いても
結局は他の誰かにあっさり代わられてしまう。
そういう代替えがきく”会社員である自分”のみで自分という存在を認めようにもとても難しいんですね。
簡単に取って代わられてしまう存在なのですから。
ひととおり会社での経験も積み自分で判断して仕事をまわせるようになって
この先の出世だとか昇給だとか会社員という自分像がリアルに見え始める時
”何のために働いてるのか?” ”こんな虚しいことで一生終わるのは嫌だ”など
リアルな会社員という現実と本当の自分の感情との折り合いをつけなければいけない時期が
誰でもくると思うんです。
そのためにも”代わりのきかない自分”というものを証明することが必要になってくるはずです。
その為に必要なのは、客観的に自分を見る事の出来る何かです。
鏡なしには自分の顔を認識できないのと同じです。
何か自分を映したものをもつことが必要になるんです。
それは自分で”何かを生み出す作業”と言えます。
歌であったり絵であったり書であったり文章であったりお料理であったり
手芸でもなんでも何か自分が好きな世界において作品を作り出す ことです。
その好きな何かには自分が投影されていて自分の一部でもあるので
自分という人間の価値を認識しやすくなります。
自分には代えがきかない、自分が自分の人生の主人公であることを認識できずに、
会社員なんてものを何十年もやってくのはとても難しいのです。
