8月の半ば頃に、上からのものすごいシャットアウトをいただき、
行きたい方へ行けず、その上からずどんと落とされた壁に
真正面から猛スピードで激突し、
精神的に生死をさまよったような感じだった、とーっても大変だった事が
最近やっと収束した感があります。
それは誰かとの関係のように見えていましたが、
実は私の中だけに起こってるもので、ずっと私の中の私と戦っていました。
2ヶ月かあ。。
あの苦しみのまっただ中にいる自分に、
”だいたい2ヶ月待てば、そのことはどうでもよくなってるわよ!”
と言ったところで、意味ははかっただろう。
一分一秒でさえ、つらかったから。
とある方へは行けなくなって、
私は、もがき苦しんで、なんとか自分の気分を上げる方へ方へと
足をひきずりながらも出向いて行きました。
経験として、動かなければダークな池に沈み込んでいくことがわかっていたからです。
一人で出向く先には、いつも心躍る人が待っていた。
私にとっては奇跡のようなギフト。
それでも、行けなかった方への執着はなかなか捨てれませんでした。
とてもつらかった。
そこへ行きたかった。抱きしめられたかった。
でも、取りつく島を与えてはくれなかった。
完全なる拒絶。
だから、方向転換せざるを得なかった。
いまではその事に感謝している。
あれほどまでの拒絶はきっとする方もきっとつらかっただろうと思う。
いまだからそう思える話。。
この”今だからそう思える”ということがポイントです。
なぜなら、2ヶ月というのは、これからまたしんどい経験をしたときの
私の中での参考値になるからです。
なので、みなさんも、
日記をつけてみてください。
そして、傷ついたことやつらかったことの感情が
どのくらいで収束していっているのかを見ると、大分楽になります。
いつかは収束しているのがわかるからです。
今現在進行形の“痛み”も
いつかは薄れていきます。
それは何年か越しになるかもしれません。
それでも、いつかはどうでもよくなっているんです。
実際、私の場合、2年ほど苦しんだ呪いのような気持ちは、
今は完全にありません。
それが日記をつけるとわかるようになってきます。
他人ではなく”あなた”が、いろんなことを乗り越えてきているという事実は
どんな偉人の素晴らしい言葉よりも、効くんです。
