アローハ☆
”さびしさ”が諸々の問題を大きくしていたり、
問題の本質を見えなくしているとずっと思っています。
もろもろ、問題の余分なところをそぎ落として行ったら、
残るのは”さびしさ”なんじゃないかと思うんです。
宮崎駿の映画「千と千尋の神隠し」の中で、
カオナシが千に詰め寄りながら”寂しい 寂しい”と言う。
カオナシが暴れだした時の姿は寂しさの化身だと思います。
ただ、自分は”さびしい”と認めることって多分つらい作業なんですよね。
いかに”さびしさ”を大きくさせなくするか。
”さびしさ” はなくならないと思う。
でもカオナシのように暴れだしたりしない程度に、
いかにさびしさを自分で抱えておける程度にしておくか。
小さな承認欲求を満たして行くことです。
まずは他人から認めて欲しい欲を満たす。
それが少し叶ったら、あとは自分で自分を認めて行く作業が必要になる。
まず他者からの承認欲求をちょっと満たすのは、
Facebookがいいんじゃないかなあと思います。
ランチの写真を載っけたら、いいね!を押してもらえた。ふふ!な〜んて小さなことで、
ちょっとハッピーになって、さびしさが増大するのを少しは防げます。
でも、ひとつの”いいね!”じゃ足りなくなって、”もっといいね!を私にーーー!”と
もっと他者からの承認を欲しがるようになるのかはちょっと怖い部分ではありますが、
使っていくうちにSNSとの距離感も分かって来ますので、大丈夫だと思います。
でも、重要なのは、自分で自分を承認することです。
これはそう簡単にいくものではありません。
それには何かしらの創作活動が必要だと私は考えます。
アローハ
