深い闇から抜け出るとき、自分もがんばらないといけませんが、
多くの場合、他人の力も必要とします。
深い心の闇から人が本当に抜け出て癒されるという過程は、
そう生半可なものではありません。
あばれだした”カオナシ”になってしまった人には
“千”の役割をする人が必要です。
あれは物語で、誰も死にませんでしたが、
実際にあんな風に醜い自分をさらけ出し相手にぶつけることは、
時に双方命がけの作業になると私は思います。
闇の中で大いにふくれあがった醜い自分をさらけ出し、それを相手にぶつけ、
相手にそれをうまく流してもらうことでしか、癒されない闇があります。
去年の夏、ハワイで、私はもう消えてなくなっていたと思っていた闇を
一番大切な人にさらけ出してしまった。
まさに、カオナシが暴れだした状態。
そうしたかったわけではありません。
止めようにも止めれなかったのです。
醜い私の塊をぶつけられた私の大切な人は、
おどろき、さっさと私のもとを去ろうとしました。
ハワイで出会った本当に本当に大切な人です。
でもその大切な人が、私の目さえ見てくれないようになりました。
あんなに楽しく笑い合った日々はなくなってしまった。
私は地球が割れるほどに後悔し、吐くように泣いた。
私の心はあのとき一度死んだんだと思います。
もう、カオナシにはなりたくない。
愛する人には、かわいい自分でいたい。
闇はもう十分体験した。
これで最後だ。
私はもう愛する人を失いたくない。
私は祈り続けた。
ラッキーなことに、私達は数ヶ月を経て、
もとの友達に戻ることができました。
私の闇に巻き込まれた彼には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
かなり、ぎりぎりすれすれのところでした。
私は彼を永遠に失っていてもおかしくなかったし、
私自身も再び深い闇にしずみかねなかった。
彼はラッキーにも”千”の役割をしてくれた。
本当に人が深い闇から抜け出し、癒されるというのは、
実は命がけの作業なのだと思う。
でも、誰にでも”千”が登場してくれる保証はない。
だから、そんなに深い闇に沈むまえに、対処が必要なのだ。
まずは、深い闇に沈む前の人を救い出す作業をしていきたい。
彼が再びまっすぐに私を見てくれ、二人でげらげら笑ったりするとき、
その決意はますます固くなるのです。
