320 過去の自分が必要な理由


アローハ☆

26歳から29歳までの間、大学時代の仲間内だけに発信していたエッセイがあります。

「アロハニアンの本を出したいという夢は、あのエッセイから始まっていたんだよね」と
友人が言ってくれて、ああ、そうだ、そんなの書いてた、と思い出したんです。

読んでみようと探すも、手元には一記事くらいしかなくて、
大学時代の友達に呼びかけたところ、嬉しい事に全記事残ってた。
でも、6回くらいしか書いてないんですけどね。
(ただし、一回一回がかなり長編)

結果。

めちゃくちゃ恥ずかしいけど、めちゃくちゃ面白い。
仲間内だけへの発信なので、かなりぶっちゃけているし、
もう忘れてしまっていた誰からの言葉や、当時の赤裸々な思いが綴られていて、
はずかしいやらもっと読みたいやら。

ブログではやっぱり書けない事がとても多くて、
いつも悶々としているわけですが、
あのエッセイはぶっちゃけていてかなりいい。
爽快だ。

そして、想定外に私はなぜかとても癒された。

もう忘れてしまっていた必死で生きていた過去の自分を知ることはなんかつらいし、
叶わなかったいろんなことを思い出して胸が痛んだし、
一瞬読まなければ良かったとおもったんだけど、
なんか過去の自分は痛々しいけど、愛おしかった。

涙が止まらなかった。

過去なんか覚えていてもつらいだけだと思っていました。
特に良かったことなんて思い出せないし。
でも、過去の自分の存在は、今を把握する上でとても重要な存在となるんです。

昔は良かったなんて幻想だったりするし(実際、昔も今と同じようなことで悩んだりしてるし)
昔の自分の思いとか読むと、やっぱり背中がしゃんとするし、
過去の自分にしか今の自分を説得したり動かせないものがあるんです。

だから、ブログなり個人日記なりで、
自分の想いを書き続けることはすごく重要なんです。
忙しければ忙しい人ほどね。

アローハ♡

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