古くからの友人であるLeiちゃんとしばらくぶりに会う。
久しぶりに会ったLeiちゃんは、痩せたい痩せたいと言い続けてるにも関わらず、
相変わらず 痩せていなかたけれど、なんだかスッキリした印象だった。
「どうしたの?なんかいいことあった?」と聞くと
「特になにも。でも、ちょっと分かった事があるんだ。
親とか恋人とか旦那とか友人とかそういう関係を超えた愛ってあるんだなと思って。」
へえ。そんな大きなものがねえ。
Leiちゃんがそういうからには、きっとそういう大きな愛ってあるんだろうと
何の根拠もなくすんなり納得する。
まあ、そのくらい付き合いが長いのだ。
Leiちゃんは、元々夢見がちなところがあって、恋愛至上主義なところが多々あるし、
好きなものは好き、嫌なものは絶対嫌!と、
現実社会を生きて行くにはとてもつらいだろうなあというところがあったのですが、
(私はそういうところが好きだったけれど)
30代になってようやく、現実を生きられる人間に変わっていった。
変わらざるを得なかったよね。
Leiちゃんの不器用さは中間地点がないことだ。
リアルな現実に直面せざるを得なくなった彼女は、
結構なリアリストと化してしまった。
私がちょっと夢見がちな発言をしただけで、
「そんな夢みたいな事、まだ起こるって信じてるの?」
と、スパッと切って捨てられる。
すごくわかる。
とてもリアルな現実に直面しながら、夢とかいう言葉を使ったり、
語ったり追いかけたりするのはなかなか大変なのである。
どうしても生活するとか、お金を稼ぐとかがついてまわるから。
でも、そのLeiちゃんが感じる大きな愛によって
Leiちゃんは、少しほんわかさをまとい始めるようになった。
「なんかさ、恋だとか愛だとか、ロマンスとかファンタジーが足りないよね、世の中。
そんなのを純粋に求めるのってどっか制御しちゃって
そういうのだけでは生活できない頭の方が勝っちゃう。
でも、そういうの、さびいしい。生活のために生活するなんて」
とLeiちゃんは言う。
むずかしいね。
でも、現実を見ながら、生活を生活しながら
ちゃんとロマンスしたり、ファンタジーを感じながら生きていけると私は思う。
「リアルファンタジー 」でも書いたけど、
とある一定の経験をした後は、
日常に潜むちょっとしたロマンスやファンタジーをうまく見つけて感じられるようになるというか
自分をそういう風に持って行くようになるんですね。
それが生きてくひとつの知恵だからです。
それは、自分が装備すべき心の武器というか、フィルターというか、
人生のリアルをその心のフィルターを通してみると、
ちょっとハッピーにちょっとおもしろおかしく見えるように
フィルターを調整したり新調したりしながら、
目の前に広がるどうしようもない程のリアルを楽しむ方法を覚えていくんだと思います。
ロマンスとかファンタジーとか言いだしたLeiちゃんは、
単なるリアリストを卒業し、また違う段階に行く時なんだろうと思う。
