先日、Twitterでフラをされている方々とおしゃべりをしているなかで、
64歳の方が、「私からフラを取ったら何も残りません」とおっしゃっていました。
この言葉が、ずっと頭に残っていて、考えていました。
それほど打ち込めるものが60歳過ぎてあるというのは、とてもステキなことだし、
フラを楽しんでらして、輝いて生きていらっしゃる様子が、とても励みになりました。
プラス、私が、プレイヤーになろうとか、舞台へあがろうとか、言ってるのは、そこへもつながると思ったのです。
つまり、今ここでだけ輝いて生きるのではなく、ロングタームで自分を作り上げていくというか、
自分であることを人生をかけてつむぎ上げていくことにつながるんだと。。
特に会社以外で何もしていない場合、
そして、会社で特に何か特別な能力や技術を使って仕事をしていない場合を想定して、
会社を勤め上げて、60歳で定年して、私に残るものは何だろう?と考えたときに、
組織でやってく力とか、ダメ上司の下で働き続ける忍耐力とか、
嫌でも、毎日毎日同じところに通い続ける能力とか、
会社という看板が外れたとき、総合的には、自分には我慢する力しか残らないんじゃないかと。。
それはそれで、よう頑張った!ご苦労さん!って感じで、とてもいいことでもあると思うけれど、
それだけじゃあ、やっぱりむなしいです。
私は、これがやれるんです、と老後に示したいがためにフラをやっているわけではないです。
好きだからやっています。
でも、それは、きっと、人生をかけての自己形成というか、
私の生きた証になるのではないかと思っています。
幸い、フラは、何歳までもできますからね!
老後、何をしていたいですか?
あなたに何が残っていたらいいですか?
それを踏まえて生きていくことは、きっと、今のあなたをも豊かにしてくれるでしょう。
大それたことじゃなくていいんです。
あなたが好きな、あなたが良しとする、あなただけの世界の話です。
